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監督より

観察映画第2弾『精神』について

僕の前作『選挙』(観察映画第1弾)に、ボランティア
たちが選挙事務所でチラシを折りながら、事務所の外に
立っている「気が触れた女」について噂話をして、奇妙
に盛り上がるシーンがある。

「あそこに立ってる人、ほら。気が触れちゃってるの。
正気なころはさ、こんな髪の毛でこんなボインでね、土橋
のマリリン・モンローだなんて、気取ってこの坂上がってた」
「あの人ちょっと飛んじゃってるの、いま?」
「全然。あの人、一時先生に熱上げちゃってさあ。おか
しかったのよ、頭が。先生はいい迷惑」

この噂話にみられるように、「気が触れた人たち」は、
健常と呼ばれる人たちによってしばしば、好奇と興奮と
軽蔑を交えて語られる。彼らは時折自分たちの世界にふ
と顔を出す異界の存在であり、同じ空気を吸っている人
間とは見られていない。健常者と精神障害者たちの間は
見えないカーテンで遮られており、多くの健常者たちは、
カーテンの向こう側にいる精神障害者たちの世界を、自
分たちには関係のないものとして処理してしまっている。

僕はかねてから、このような状況に違和感を感じ続けて
来た。僕自身も大学時代、精神的に追いつめられて自ら
精神科に飛び込み、燃え尽き症候群と診断されたことが
あるし、それから回復した後も、過度のストレスから幾
度となく病気すれすれの状態に陥ったことがある。自分
の周辺を見渡してみても、実際に心の病気になってしま
った友人や、それが元で自殺してしまった友人や恩人が
いる。そもそも、現代社会は閉塞感や孤独感、プレッシ
ャーやストレスに満ちており、われわれは誰もが心の病
になる危険性と隣り合わせで生活しているような気がし
てならない。にもかかわらず、一般社会にとって精神疾
患がタブーであり続け、健康な人々が目をそらし続けて
いる状況に、僕は一種の危うさを感じている。

したがって、僕が『精神』で行ったのは、この見えざる
カーテンを取り払う作業である。固定概念や先入観を極
力捨てて、患者や障害者を「弱者」とも「危険な存在」
とも決めつけず、かといって賛美もせず、虚心坦懐に彼
らの世界を見つめることを第一義とした。そのため、
『選挙』のときと同様、撮影前にシノプシスや構成表を
一切書かず、事前のリサーチも最小限にとどめた。また、
撮影前に極力セットアップをせず、行き当たりばったり
でカメラを回す手法に徹した。

編集では、ナレーションやテロップによる説明、音楽を
一切使わず、複雑怪奇な現実をなるべく複雑なまま提示
し、紋切り型の単純化を避けるよう努力した。また、構
築した映画世界が観客の能動性と観察眼を刺激し、それ
ぞれが自分なりの解釈を自由に行えるよう、余白を残す
よう努めた。同時に、映画を観ることで、あたかも診療
所を訪れ、そこにいる人々と出会い、言葉を交わしたか
のような臨場感を得られるよう、時間の流れと空間の再
現に腐心した。

『精神』にはいわゆる「言いたいこと=メッセージ」も、
明確な結論もない。むしろ、映画を単純なメッセージに
還元するプロパガンダ的な姿勢から、最も遠いところで
作品を作ることを目指した。観客が作品を通じて、なる
べく「す」の状態で精神科の世界を観察し、あれこれ考
えたり疑問を持ったり刺激を受けたりできれば、作者と
して幸せである。

想田和弘


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