監督のコメント 観察映画「選挙」について
by 想田和弘
「選挙」の題材は政治だが、政治的な作品ではないと僕は思っている。戦後ニッポンの政治を支配し続けてきた巨大組織・自由民主党。その選挙運動を観察することによって見え隠れする、言葉ではとらえきれない複雑な現実を、観客ひとりひとりが自分なりに感じ取り、解釈してくれることを目指して作った「観察映画」である。
一般の観客にはあまり知られていないことだが、ドキュメンタリーといえども、撮影前に入念な下調べを要求され、 「構成表」とか「シノプシス」と呼ばれる台本を書かされる
場合が多い。製作過程には、監督(ディレクター)だけ
でなくプロデューサーやカメラマン、出資者など多くの人が
関わるので、みんなが納得するような「設計図」が必要と
されるのである。それは経済上の要請であり、作品が失敗する
確率をあらかじめ最小限に押さえようとするリスク管理的な
発想の現れでもある。
しかし、「選挙」を作るに当たって僕は、構成表や台本を一切
作らず、目の前で展開する現実をとにかく行き当たりばったりで
撮影するという方針を徹底した。自民党の選挙に関する事前の
リサーチも、被写体とのミーティングもゼロ。つまり、準備を
ほとんどしなかった。あらゆる先入観を捨てて現実を観察し
そこから学ぶという、僕なりのドキュメンタリー作りの根本
姿勢を貫きたいという気持ちが強かったからである。撮って
みて面白くなければ、潔く撮影をやめてしまえという捨て身の
覚悟もあった。自分で制作費を出しカメラを回して録音も
するという、一匹狼型の自主制作だからこそできた、ある種の
贅沢である。幸い、筋書きがないせいか、撮影の現場は
予期した以上にスリルに溢れ「目から鱗」の連続で、僕は途中で
やめるどころか、水を得た魚のように撮影を最後まで楽しんだ。
編集の際には、撮った絵と現実音だけで映画世界を構築する
ことを試み、ナレーションや説明のテロップ、特殊効果、音楽
などを一切使わなかった。それは、僕が「す」の状態で被写体に
向き合い観察したのと同じように、観客にもなるべく直接的に
被写体を観察し、選挙運動を体感して欲しかったからである。
観客が自分で観察・解釈しなければならないという意味で、
「選挙」は白か黒かの映画ではない。それは現実がそうであるように
限りなくグレーな映画であり、観客が観た後にモヤモヤした
何かを抱えてくれることを本望としている。
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